3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」。
多くの死者をだし、未だに安否不明の方も多く、テレビや新聞で見る目を覆いたくなるような光景が日本でおきている出来事だと受け入れられずにいます。
避難所で寒さと余震に耐えながら家族を待つ被災者の気持ちを思うと胸がしめつけられます。
遠くから何を言ってもきれいごとでしかありませんが、一刻も早く助けを待つ人たちを助けてほしい。そう祈らずにはいられません。
被災者のためにできることを微力ながら考えたい。
・・・私は11日、前日よりの発熱のため医者に行くと「インフルエンザB型」が陽性と診断され、処方されたイナビルを吸引している、まさにその時に最初の揺れがきました。
怖かった…
来た、とうとう来た!と思いました。
家がこんなに揺れたら壊れてしまう!!と思うほど揺れ、ダイニングテーブルの下にのんきにお菓子を食べていた次女の手を引き隠れました。偶然の体調不良で次女は保育園を休んでそばにいたんです。
揺れがおさまるのを待ち、すぐに長女を小学校に迎えに行くこともできました。子供たちとすぐに一緒になれたのは今思えば幸運でした。
普段通りであれば、丸の内のオフィスにいたので、交通機関の麻痺もあって子供たちを何時に迎えに行けたかわかりません。同僚の話では34階にあるオフィスからはエレベーターが停止してしまったので歩いて降り、その後は皆徒歩で帰路についたとのこと。
パパは揺れの最中に着信がありましたが当然出ることはできず、揺れが落ち着いてからかけなおしましたが、すでに電話はつながらず。結局電話で話せたのは5時間ぐらい後のことです。
11日の夜の東京は異常な状態でした。
前々から東京に大地震が来たら多くの帰宅困難者が出るとは言われていましたが、本当にこんなことになるなんて。
自宅付近も夕方以降は道路も大渋滞、道を歩く人の波。今までに見たことのない光景でした。
(写真は午後9時過ぎで、人の数はずいぶん減ってきていたころ)
丸1日以上経った今も、都内でも余震が続き、時折響く緊急地震速報に反応しながら、落ち着くことのできない夜を過ごしています。
posted by こぐれっち at 00:18|
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